top of page

「早大校歌の碑」に関わった市川稲門会

更新日:2020年8月2日

早稲田大学の正門を入ると左手の木陰に大きな立派な石碑が立っています。石碑には不朽の名校歌として歌い継がれるわが早大の校歌「都の西北」の歌詞が刻まれています。この早大キャンパスのモニュメントが市川稲門会と深くかかわっていることをご存知でしょうか。


平成9年(1997年)、「校歌の碑」はこの地に建立されました。校歌が制定されて90年、作詞した早大OBの相馬御風が生まれて115年の節目の年でした。その前年、市川稲門会の髙田浩雄さん(元副会長)に同じ市川稲門会の矢谷憲一氏(元会長、故人)から「校歌の碑の建立で相談に乗ってほしい」との話がありました。髙田さんが経営陣の一員として働いていた株式会社タカタが建築石材の老舗で、有名なビルの石材建築で数多くの実績があったからです。加えて発起人である早大の十代総長である村井資長氏(市川稲門会のメンバー)や山田和生氏(鎌倉稲門会名誉顧問)の強い働き掛けもありました。


髙田さんはこの石碑の製作、基礎・建立工事を快く引き受けたものの、完成までには多くの苦労もありました。まず素材の石そのものが相馬御風の生誕の地、新潟県糸魚川市の銘石「姫川石」と指定されていました。その姫川石は翡翠を含むため非常に硬く、加工が難しい。「重量は30トンと重く、形状も不整形なため、加工や取り扱いに苦労し、通常の石碑製作より数倍の時間がかかった」と髙田さんは振り返ります。


早大の校歌「都の西北」は1907年(明治40年)の創立25周年祝典に合わせて制定、披露されました。当時の教員だった坪内逍遥、島村抱月が中心的な役割を担い、二人に作詞を依頼された相馬御風は寝食を忘れて創作に没頭、10日余りで完成させたという(作曲は雅楽家の東儀鉄笛)。ちなみに相馬は早大校歌のほかに童謡歌「春よ来い」なども作詞しており、多彩な能力を発揮しています。


大学キャンパスに鎮座するこの校歌の碑は「都の西北」が校歌として歌い継がれる限り、早大のモニュメントの一つとして今後100年、200年後もこの地に立ち続けることでしょう。髙田さんも「この校歌の碑の製作に携わったことは、私の生涯の誇りであり、良き思い出です」と語っています。



写真「(株)タカタの工場で出荷前の早大校歌の碑」(左から2人目が村井資長氏・元早大総長、右から3人目が髙田浩雄さん)

閲覧数:114回0件のコメント

最新記事

すべて表示

50周年記念誌が大学図書館の蔵書に決定

市川稲門会会員の皆様のお手元に届いております「市川稲門会50周年記念誌」が、早稲田大学図書館の蔵書となることが決定しました。 これはひとえに、記念誌の企画・編集に尽力いただいておりました鍋島・前副会長による大学への働きかけによるものです。50周年記念誌にかかわられた皆様に感謝とお礼を申し上げます。 早稲田カード・校友会カードをお持ちの方は無料で入館できますので、稲門祭やホームカミングデーなどで大学

令和2年 書面総会の結果ご報告

新型コロナウィルス感染症の拡大予防のため、また早稲田大学校友会から年内は実際に集まっての校友会・稲門会活動を中止するとの発表を受け、本年の定期総会は書面にて実施いたしました。 5月31日時点で128名から異議なしの回答をいただき、会長一任(無回答)も合わせまして、以下の5議案すべてが承認されました。 議案1.令和元年度決算書 議案2.令和2年度予算案 議案3.令和元年度活動報告 議案4.令和2年度

bottom of page