市川稲門会の皆様は国民的に有名な作曲家、古関裕而が早稲田大学の応援歌である「紺碧の空」を作曲したことをご存知でしょうか。その古関裕而と妻をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「エール」がこのほどスタートし、早大応援部の池田監督によると5月には「紺碧の空」誕生にまつわるエピソードも放映されるということなので、皆様にもお知らせします。
古関裕而が「紺碧の空」を作曲したのは1931年(昭和6年)、まだほとんど無名の弱冠21歳の時でした。その応援歌の誕生の契機になったのが、当時早大の野球部が慶応になかなか勝てず、早大応援部が慶応の応援歌「若き血」に負けない応援歌を作ろうと、作曲を古関に依頼したことによります(作詞は当時早稲田高等師範部3年の住治男)。応援部出身の柏稲門会の田中会長によれば、この「紺碧の空」のおかげで早大は慶大に連戦連勝、「低迷していた早稲田が見事、大復活を遂げた」そうです。記録によると「紺碧の空」が披露された昭和6年春の早慶戦は、学生野球史に名高い三原脩のホームスチールで早大が勝利したとのことです。
「紺碧の空」の誕生にはこんな隠れた物語があったのですね。早大出身でもない、無名の古関裕而になぜ白羽の矢が立ったのか。早大応援部と古関の出会いなど「紺碧の空」のエピソードは5月18日の週に放映されるそうで、現役の早大応援部員も撮影に協力したそうです。田中柏稲門会会長から連絡を受けた、校友会千葉県支部の唐松事務局長は「(コロナ騒ぎで)暗い話ばかりですが、いい話なので是非放送をご覧になってください」と呼びかけています。
ちなみに古関はこの「紺碧の空」を皮切りにスポーツ関係の名曲を次々に作曲しました。プロ野球阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」、甲子園の高校野球の行進曲「栄冠は君に輝く」、東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」も古関の作曲です。また、「高原列車は行く」「長崎の鐘」など戦後の名曲も彼の手になるものです。